私と一中節
こんにちは、むすびです。
実は私、一カ月ほど前から「一中節」という邦楽をお稽古させてもらっています。
一中節とは何ぞ?という方が多いので今日はそのお話を。
一中節って?
一中節(いっちゅうぶし)は浄瑠璃の一種。または古典の一。国の重要無形文化財。
初代都太夫一中(1650年~1724年)が元禄から宝永ごろにかけて京都において創始した。先行する浄瑠璃の長所を取入れ、当時勃興してきた義太夫節とは逆に、温雅で叙情的な表現を目指したところに特色がある。三味線は中棹を用い、全体的に上品かつ温雅、重厚を以てその特徴とする。
当初は上方の御座敷浄瑠璃として出発し、世人にひろく愛好されたが、後に江戸に下って歌舞伎の伴奏音楽としても用いられた。その後、ふたたび主として素浄瑠璃専門となって現代に至っている。上方では早く衰退し、現在では東京を中心に伝承されている。一中節自体ははやい時期に細い流れとなってしまったが、ここから出た豊後節および豊後節三流が邦楽に与えた影響ははかりしれない。
三味線を弾きながら物語を語る、いわゆる「語りもの」の一つですね。
そこから常磐津節、清元節と派生していったそうで今でもこれらに関わる方は一中節も習う事が多いのだとか。
また、語りと三味線のリズムが一致しないため難易度は恐らく高い。
さらに一中節は常磐津、清元の後に習うため邦楽の経験がないとかなり難しいと思われます。
特に私の場合、ただでさえ難しいリズム+常磐津・清元経験ゼロなので上達はまだまだ先と思います…(;一_一)
始めたきっかけ
ではなぜそんな難しい音楽を始めたのかというと、きっかけは今の私の師匠でした。
師匠とは元々知り合いだったのですが、10月頃師匠自らが開いた歴史ゼミで再びお会いし、その時初めて一中節の師範である事が分かりました。
そこで能楽の謡「恋重荷」を披露してくださったのですが…
(;゚Д゚)←リアルでこんな反応
その優美な響きと謡(この場合は能楽ですが)に今までにないほど感動したんです。
今まで私の辞書になかった「一中節」が現れた瞬間でした。
それから一カ月経った11月、師匠の独演会があったので聞きに行く事に。
同年代の人はおらず私よりうんと年上の方ばかりでしたが…(;´・ω・)
まあ、周りに邦楽に興味を持つ友達が全くいないのでしょうがない。
その時披露してくださったのが「小春髪結の段」だったのですがこれを録音し家で毎晩ずっと練習。
上達は多分してなかったのですが(笑)、それでも楽しかったのを覚えています。
(ちなみに小春は浄瑠璃の中でもかなり難しいようです)
でもその内自己満足では足りなくなるんですね。
「浄瑠璃を習いたい」とだんだんと強く思うようになりました。
そう思いながらも12月がやってきました。
いつものように歴史などを教えてもらった後、少し浄瑠璃についてどんなものなのか、浄瑠璃の歴史を教えてもらいそこで初めて「浄瑠璃をやってみないか」と言われました。
次の週も能楽の関係で会う予定だったため、考える時間は1週間ほどもらいましたが
翌週には「浄瑠璃を教えて頂こう」と思い一中節の門を叩く事になったのです。
これが私が一中節を始めるまでのお話です。
現在は…
一中節を始めると決めた時は「自分に続けられるのか」ととても心配でした。
それは今でも心にまだありますがなんとか一カ月やってこれました。
今は一中節を習う傍ら師匠から大学受験に向けて歴史を教えて頂いています。
最後に
ここまで読んで下さり、ありがとうございます。
ここまで自分の事を話すのは初めてでしたが個人情報に気を付けて(ビビッて)書いたつもりです。
少なくとも特定はされないかなと。
日本文化に興味を強く持てるようになったのも師匠のおかげですが、これからも歴史・文化の知識は深めていきたいと思います。
では、今日はこの辺でm(__)m