能「野宮」
こんばんは、むすびです。
体調が悪く2日ぶりの更新となってしまいました(^_^;)
さて、私は昨年11月に金春流の能「野宮」(ののみや)を見てきました。
その年最後の公演だったからなのか、お客さんも多かった事を覚えています。
実はこの演目、私が生まれて初めて見た能舞台だったため、ストーリーが全く分からずモヤモヤとしてました…(;´・ω・)
今日はそんな「野宮」の話をしたいと思います。
ちなみにあらすじはこんな感じです ↓
あらすじ
旅の僧がある日、一人の女性に会う。
女性は長月(9月)7日に光源氏が身ごもった六条御息所を訪ねた事、そして彼からの愛を失った彼女が伊勢に下った事を語り始める。
そして自分がその六条御息所であると明かし、鳥居の影に消える。
その僧は近くに住む男から話を聞くと供養をするとまた六条御息所が今度は生前の美しい姿で現れる。
御息所は光源氏の正妻である葵上との車争いの話をすると昔を偲んで舞を舞う。
とまあ、細かいところは端折りましたがこんな感じです。
あらすじは前述の通り全く分からないままだったため、全部パンフレットから参考にさせていただきました。
見てみると、どうやら源氏物語の後日談的な感じですよね。
御息所がまだ光源氏を想い続けていた事にも驚きですが(笑)
きっと昔の人達は、今の私達と同じように死んでも人の思いが残ると考えていたのですね。
やはり人の美しいと思う感性のポイントは変わらないのか、御息所の舞うシーンはきれいだなあと感じました。
きっと能は言葉が分からなくても楽しめる芸能だと思います。
ちなみに「車争い」という聞きなれない言葉が出てきましたが、調べてみると「牛車が停まる場所取りの争い」の事で、ここでは「源氏物語」の話の一つである「車争い」を表します。
一言でいうと正妻の葵上と愛人的な立ち位置の御息所が偶然会ってしまい、御息所は嘆きの詩を詠むというストーリーです。
源氏物語での御息所の扱いが本当に不憫ですね…汗
そんな彼女を偲びつつ、今日はこの辺でm(__)m